道はいつもひらかれている
そろそろ7月です。
中体連や高体連、3年生にとっては最後の地区大会の月でしょう。
最後の一球まで、最後の一歩まで決してあきらめないでやり抜いてもらいたい。
そんな、そふてにっ子たちに贈りたい詩があります。
ソフトテニスの練習や試合の場面に言葉を置き換えて読んでみてください。
道はいつもひらかれている
古谷綱武
道は、すべての人の前にひらかれている。
その人に、やる気があるかないかだけである。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、道が閉ざされれていると思う人の前には、道は閉ざされている。
自分はだめだと思う人は、だめになっていく。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、生きがいとしあわせとを、つかみあてるその鍵は、自分の心の姿勢のなかにだけしかない。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、個性のない人生は、真実の人生ではない。
たとえすぐれた人のまねをしても、まねをすることでつかみあてられる「自分の人生」というものは、この世にはないのである。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、人生を暗く生きようとする人には明るい人生も暗くしか生きられない。
人生を明るく生きようとする人だけが暗い人生さえも、明るく生きていくことができるのである。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、自分からあきらめてしまうことは、もはや生きることではない。
その人の前では道もとざされる。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、人が一度でやりとげられることが、自分には、一度でやりとげられないこともある。
一度でやりとげられないことは、十度やってみよう。十度やってもやりとげられないことは、百度やってみよう。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、やりとげるまでは、けっしてあきらめないこと。
そしてそのやりとげようとする心をけっして失わないこと。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、たえず、知ろう、まなぼう、考えよう、とする意欲をもたなければ、人はその自分の人生の道を、あるきすすむ力を失うであろう。
知り、まなび、考えていくことが、自分の人生の道をあるいていくことだからである。
道は、すべての人の前にひらかれている。
しかし、人によっては、自分にとってのいちばんやさしい道しか、あるこうとしない人もいる。
だが人によっては、自分をそだてつづけていくために、いちばんむずかしい道のほうを、いっしょうけんめいにあゆみつづけている人もいる。
道はすべての人の前にひらかれている。
しかし、したいことだけして、しなければならないことは、なかなかやろうとしない人もいる。
しなければならないことこそを、まず行う人になりたいものである。
道はすべての人の前にひらかれている。
しかし、この人生は、また、その別の一方では、人にその道を見失わさせるほどの誘惑と失望との繰り返しにもみちみちていることを忘れてはならない。
道は平坦ではないのである。
それだからこそ、人生という道の味わいは深いのである。
がんばれ北海道のそふてにっ子!
とても良い詩ですね。子供に紹介してみました。
ありがとうございまーす